6億売上で4畳築50年アパートに住む1人社長

20代中盤で起業して3年目。会社兼自宅が港区の築50年の4畳アパート。世界中の6億売上の社長の中で世界で一番狭いとこに住んでいる1人社長。家賃が年収の1%。再生可能エネルギー関連事業。サラリーマンで営業を5年やってから起業 https://twitter.com/kigyou22

仕事が出来るのにモテない人とは

私がこれまで出会った人達で、仕事が出来る人は例外なく異性にモテている

これを言うと、仕事が出来るのにモテない人もいるという反論があるが、
その人は一見仕事が出来ているように見えて本当は仕事が出来ないだけ

数字をバリバリ上げている優秀そうな営業マンだが
モテないという人がいたとする

これだと仕事は出来るのにモテないというように見えるかもしれないが、
その人は自分の能力ではなく、会社の看板や役職による権力で数字をとっているだけで、起業して自分一人の人間の力で
やらせてみれば大抵は数字が上げれない

今数字を上げていても会社の看板を
振り回して立場を利用しているというだけ

本当に仕事が出来るというのは、
自分の能力だけで利益を上げれる人のこと

利益を上げるということは人に求められるということ、
人に価値を与えられるということ

自分の看板や力だけで利益を上げれて、価値を与えられる本当の
意味での仕事が出来る人間が異性にモテないわけがない


性格は悪いが仕事は出来るという人も間違い

真実は、「会社の看板や役職や権力があるから性格は悪いけど仕方なく仕事を依頼せざるを得ないので一見仕事が出来るように見えているだけの人」

その人が起業したら化けの皮がはがれて、今までへこへこしてた周りも会社の看板のない性格の悪い人は利用価値がないので離れていく

性格の悪い人に仕事は依頼しようと思わない
仕事も結局好き嫌いで依頼先を選ぶ

会社の看板がない状態での人間一人として仕事する場合は性格や人間性も一つの武器なので、起業して自分の力だけで利益を上げれているということは人間性も悪くはない方だということ

人間性がそれ程でも圧倒的能力で仕事を勝ち取る起業者もいるが、あまりにも性格が悪すぎると圧倒的に能力があっても接するのが苦痛で仕事が来ない


モテるからといって必ずしも仕事が出来るとは限らないが、
本当の意味で仕事が出来る人は必ずモテる

大きい会社で会社の看板が大きな価値があり、
役職や権力も持っているが、その背景の価値以上に自分の能力や人間力
利益を上げている本当の意味で仕事が出来るという雇われも当然いる

そのような人は間違いなく起業した方が良い

その人が退職して会社の看板や役職がなくなったとしても
仕事を頼もうと思うかを考えてみると分かりやい

逆に自分が今の仕事を辞めても、今の顧客は私に仕事を依頼してくれるか、今の顧客でなくても仕事を獲ってこれそうかを考えてみると
本当の意味での自分の市場価値が客観視出来る

顧客が何に価値を感じて仕事を依頼しているかが想像出来る

私の前職では、同僚がお客様から
「担当が変わったら取引を止める」とまで言わしめた

これこそまさに担当営業に顧客が付くという最たる例

会社としては仕事の属人化であまり褒められたことではないが、
営業個人としてはこれ以上の評価はない

仕事は出来るのにモテないと呼ばれている人間は上記と真逆

その会社の看板を背負った「役割」に対して仕事が来ているだけで、
その人には仕事が来ていない

仕事が出来るのにモテない人はなぜモテないかというと、
本当の意味での仕事が出来るというレベルに達してないから

自分の能力一本で利益を上げれるという
本当の意味での仕事が出来るになったら必ずモテる


モテるからといって必ずしも仕事が出来るとは限らないと先程書いたが、
大抵はモテる人は仕事も出来る

モテるということは人間的に魅力があるからモテるのであって、
人間的魅力があれば仕事も出来るケースがほとんど

さらに言えば、世の中には出来る側の人間と出来ない側の人間がおり、
残酷な事実だが、出来る側の人間は何をやっても出来るし、
出来ない側の人間は何も出来ない

映画やドラマや漫画は劣等生だが、ある能力だけが突出しているというケースが多いが、現実の社会ではある能力が高ければ他の能力も比例して高い

スポーツも勉強も仕事も恋愛も何でも出来るという人がいれば、
何一つ出来ないという人もいる

出来る側の人間と出来ない側の人間は人種が違うので、
お互いのことは永遠に理解し合えない

諦めが大切

出来る側の人間は、出来ない側の人間を見て、
「なぜ何も出来ないのだろう」と素直に疑問に思うし、
出来ない側の人間は出来る側の人間を見て、
「なぜ何でも出来るのだろう」と思う

そもそも、仕事が出来るかどうかは自分が決めることではなく、
周りの人間が判断すること

何億の利益を上げたなどの客観的な数字は動かぬ事実だが、
仕事が出来る出来ないは人によって尺度が違う

仕事が異常に出来る人から見たら仕事出来ないと見なされ、
異常に出来ない人から見たら仕事出来ると見なされる

どこのフィールドに立っているかで数字は変わらないが、評価は変わる

例えば、資産3億の経営者がおり、雇われ界隈からはお金持ちと見なされ、経営者界隈からはあまり多くないと見なされる

資産3億という数字は動かないが、評価は動く