高校野球に高校野球らしさや教育的観点などを求めることについて
高校野球や甲子園に高校野球らしさや教育的観点などを
求めて外野がとやかく言うな
見たけりゃ黙ってろ
夏の甲子園予選で目の前の試合に勝てれば死んでも良いと
本気で思っている球児の気持ちが当事者以外に分かる訳ない
高校球児の最後試合とは、18歳の人生のほとんどを
野球に捧げてきた人間の集まりだから熱量が違う
高校のメジャースポーツの部活は大抵小学生から競技を始めた人が大半
野球もサッカーもバスケも中学から始めると小学生からスタート組との差で強い学校はついていけなくなることもある
だから高校最後の部活の試合は17-18歳の子が
人生の半分以上の年数を費やしてきた競技の集大成
重みが違う
だから一瞬にかける熱量が圧倒的で見る者を魅了する
嗚咽する程泣くことが、
人の死に関わること以外で長い人生で何回あるだろうか
たしかに甲子園はボランティアではなく、ビジネスとしてやっている
真夏の灼熱の中にわざわざ甲子園を開催するのはお盆で帰省している人々が地元で見ることによって視聴率が上がるから夏にやっている
アスリートファーストの観点からすれば秋に実施した方が
良いがビジネス的に一番儲かるのがお盆なのでお盆に開催している
甲子園がビジネスの側面は当然あり、イベントを存続させる為には収益が上がり続けなければ途絶えてしまう現実があるのでそれは仕方がない
しかし、グラウンドに立っている選手達はそんなことはどうでもいい
頭の片隅にこれっぽちもない
私も高校球児だったので分かるが、
高校最後の試合は目の前の試合に勝てるなら大袈裟かもしれないが
本当に死んでもいいと思っている球児達の集まりである
そのような本気で人生を懸けてやっている当事者達に何も知らない外野がいけしゃあしゃあと能書きを垂れるのは本当に虫唾が走り、反吐が出る
当事者やその関係者にしか入れない領域がある
下記のような出来事が典型的なケース
https://rocketnews24.com/2013/08/24/361456/
https://news.yahoo.co.jp/byline/hongoyoichi/20130822-00027446/
http://sekasuu.com/blog-entry-2646.html
「花巻東の千葉くんのカット打法の話なんだけど。花巻東高校の千葉くんって選手が、バットコントロールがスゴイ上手で、ピッチャーに球数投げさせて、どんどんファールを打って、フォアボールを選んで1塁に出るっていうのがまぁスゴイっていう」
「そしたら、勝ち上がってきたんだけど、準決勝に高校野球連盟か審判連盟の方から監督に、『実はこういうルールがあるんです…ヒットを打とうと思ってない、前に飛ばそうと思ってない、わざとファールを打ってる様子だと審判が認めた場合に限っては、それはバントとみなすことがあります』と」
「それを、2ストライクからやって、明らかにそうだなって審判が判断した時には、3バント失敗でアウトになることがあります、と釘を刺したわけだね。そしたら、千葉くんは封じられたから出来ない、それで次の試合はやらなかった。そして、花巻東高校は負けてしまうわけだけども」
「その時に、最後のインタビューで、『自分がずっとやってきたことがやれなくなったのは悔しい』って、号泣して。過呼吸起こすほど号泣して」
これを最初に知った時は血が湧きたつ程の怒りを覚えた
千葉選手が血が滲むほどの努力の末に得た技術を使えなかった苦しさは
想像を絶する悔しさだったと思う
ルールに10球以上ファールにしたらアウトにすると書いてあるならまだしも雰囲気的にアウトだからダメというのは本当に酷い
高野連の対応は万死に値する
高校野球や甲子園に限らず、何でもそうだが当事者以外が
無責任にやいのやいの言うのは当事者達に迷惑であり、失礼
浅はかでつまらなく大したことない人生を
歩んでいる感動乞食に発言権はない